ぶどう畑の畝と畝の間、ぶどう畑の株と株の間を覆う多くの種類の芝や雑草を被覆植物と言います。現在、被覆植物は、ぶどう樹と根を張る場所を求めて競合し、その結果、ぶどう樹の根が地中深くに伸びていくことを促進し、ぶどうの質を高めるとして、肯定的な意見が増えてきています。
除去の対象としての雑草
昔から雑草は、鋤入れ、耕転、くわ入れなど、辛い作業によって、除去されて来ました。1960 年代に入ると、除草剤の使用が商業的に推奨され、一般的になりました。現在でも、まだ除草剤を使用している畑が見られ、株の間に茶色い枯れた草があるので、直ぐにわかると言います。
ブルギニョン夫妻の報告
1970 年代初頭に、このまま除草剤を使い続けると、ぶどう畑は、植物も動物も生息できない砂漠のような土地になってしまうという意見が出てきます。例えば、土壌微生物学の世界的な権威で、フランス国立農業研究所の研究員であるリディア&クロード・ブルギニョン夫妻は、「ブルゴーニュの特級畑に生息する微生物はサハラ砂漠より少ない」と衝撃的な報告をして、大きな話題になります。
リディア&クロード・ブルギニョン夫妻は、1980 年代はブルゴーニュの 95 % の生産者が除草剤をまいていて、土はカチカチに固くて耕せない状態であり、ぶどう樹の根は地表から 50 センチにしか伸びず、横に広がっていたと言います。
ブルギニョン夫妻は「面白い話がある。94 年か 95 年に、ヴォーヌ・ロマネ村でサン・ヴァンサンの祭りが行われた。馬で畑を耕作する様子を見せようとしたら、土が固くて、鋤が入らなかった。ベテランの造り手が『私たちは大きな過ちをした』と話していた。」と語り、20 年間農薬を撒き続けたぶどう畑が回復するには、最低でも、5, 6 年はかかると言います。
被覆植物との競合による根の成長や樹勢の抑制
1970 年代に、株間の植物は、ぶどうの質を高めることができると初めて主張したのもブルギニョン夫妻です。ブルギニョン夫妻は、農薬を使う栽培から有機に転換すると、根は毎年、20 cm ずつ伸びると報告しています。被覆植物は、根を張る場所を求めて、ぶどう樹と競争し、その結果、ぶどう樹の根は地中深くに伸び、ぶどう樹の樹勢は、被覆植物との競合によって抑制されていきます。樹勢が抑制されると、一株当たりのぶどうの収穫量が落ちるものの、凝縮したぶどう果実が収穫できるようになります。
被覆植物の競争効果が強すぎる場合、1 畝ごとに被覆植物を生やし、そうでない畝間は、鋤入れをしている例もあります。一方、被覆植物が霜を呼び込むことがあり、霜害には、注意が必要と言われています。
土壌の流出を防ぐ役割
被覆植物には、ぶどう樹との競合以外にも、別の大きな利点として、豪雨の時にも斜面の土砂を強く保持し、浸食を防ぐのに多大な効果を発揮するという点が挙げられます。そして、被覆植物を成長期の後に、土中に鋤き込むことで、費用を掛けずに土中の窒素含有量を増やすことが出来ます。
生産者の取り組み
農薬や除草剤を用いた農法から脱却する動きは、1980 年代の後半から始まったものの、最も厳格なビオディナミ農法を実践する生産者となると非常に限れていました。ブルゴーニュにて、1989 年において、ビオディナミ農法に取り組んでいたのは、ジャン・クロード・ラトー、エマニュエル・ジブロ、ディディエ・モンショヴェの 3 軒しかありませんでした。その後、ルフレーヴ、コント・ラフォン、ルロワ、DRC などが続いていきます。
DRC のビオディナミ農法への転換で、ブルゴーニュ及びフランス全体の流れが変わりっていきます。ただし、ビオディナミ農法への転換は、安定するまで時間が掛かり、例えば、ルロワは急激に転換を図ったので、ベト病に見舞われ、1994 年の収量が激減しています。
ルフレーヴ、ルロワ、DRC、コント・ラフォンといったブルゴーニュのトップ・ドメーヌがビオディナミ農法を導入したことなどがきっかけになり、ブルゴーニュをはじめ、フランスにおける多くの生産者たちが、ビオロジック農法やビオディナミ農法に取り組むようになり、ビオロジック農法やビオディナミ農法の導入は、ぶどう栽培における大きなトレンドになっています。