スーパートスカーナ (Super Toscana) は、イタリアのトスカーナ州にて、イタリアのワイン法による規制や格付けの枠組みにとらわれずに、主に国際品種を用いて生産される極めて品質の高い傑出したワインを指します。スーパータスカン (Super Tuscan) とも言われ、1970 年代頃から国際的に極めて高い評価を獲得し、イタリアにおけるワイン造りに大きな影響を与えたワインです。
イタリア・ワイン法の成立
1963 年に、イタリアのワイン法は、フランスの AOC システムをモデルにして制定されました。この法律の制定により、生産地域、最大収穫量、原料ぶどうの使用割合、ブレンド品種の割合、生産方法、許容される資格などの規律が求めらるようになり、法令によって定められた基準を満たすワインに、DOC 或いは、DOCG が付与されることになりました。
フランスのワイン法制定 (1935 年) から遅れること、28 年後に制定されたイタリアのワイン法は、イタリア人における考え方の根底を形成すると言われる「カンパニリズモ」(Campanilismo, 郷土愛) が色濃く反映しています。
すなわち、格付けワインは、地域の伝統品種を中心に用いることが要請され、イタリア・ワイン法制定当時、国際品種が格付けの対象となるワインから除外されていたこと、そして、地名を冠したワインの急増を招きました。伝統品種と地域呼称という点は、「小さなコムーネを治める長は皆、『おらがワイン』が DOC (G) に選ばれることを切望している。」 (ニコラス・ベルフレージ氏) という「カンパリニズモ」がその背景にあったと言われています。
マリオ・インチーザ・デッラ・ロッケッタ侯爵のボルドーに対する憧れ
サッシカイアの創始者、イタリアの貴族で侯爵のマリオ・インチーザ・デッラ・ロッケッタ氏は、イタリアで希少品種のリスト作りを監修していた大叔父の影響を受け、若いころからワインが大好きで、ワインに造りに興味があり、20 代の頃から、実験的にぶどう栽培や瓶内二次発酵に取り組んでいました。
マリオ・インチーザ・デッラ・ロッケッタ氏は、学生の頃に滞在していたピサにて、熟成したボルドー・ワインを飲み、その素晴らしさに感動します。そして、いつしか、自分でボルドー・ワインのような素晴らしいワインを造り出すことを夢に見るようになりました。
転機となったのは、1930 年に、ゲラルデスカ家の妻と結婚し、ボルゲリにある土地を相続することになったことです。ボルドー・ワインが好きだったマリオ・インチーザ・デッラ・ロッケッタ氏は、ボルゲリの地に、シャトー・ラフィットから入手したカベルネ・ソーヴィニヨンを植えます。その結果、ボルゲリの地で栽培されたカベルネ・ソーヴィニヨンは、ボルドー・ワインのような理想的な香りを備え、土壌はボルドーのように砂利混じりであり、気候もボルドーに似ていて、海に近く内陸部より夏涼しく、冬は温暖であることに気が付きます。
1943 年に、妻と共にボルゲリに渡ったマリオ・インチーザ・デッラ・ロッケッタ氏は、第二次世界大戦によって、大好きなボルドー・ワインの入手が難しくなったため、自分自身でカベルネ・ソーヴィニヨンを用いたワイン造りを開始、自家用ワインとしてワインを造り、家族や友人たちに振る舞っていました。
「サッシカイア」の登場
マリオ・インチーザ・デッラ・ロッケッタ氏は、「イタリアでも高品質なワイン造りが可能なことを証明したい」という情熱に駆られ、本業であるオリーブ・オイルと花の球根づくりの片手間に行っていたワイン造りに本腰を入れ始めます。ピサ周辺に住む貴族のサルヴィアーティー一族から贈られたカベルネ・ソーヴィニヨンの挿し木をもとに、伝統的なフランス式のワイン造りを導入して実践し、ぶどうの最大収穫量は 40 ~ 45 hl/ha に制限、オープン・トップ型の木樽で最低 20 日の発酵を行い、小さなオーク樽で 3 年間熟成させるという本格的なものです。
元々は、家族や友人たちに飲んでもらっていたワインは、特に熟成したワインについて、評判が広まり、1968 年から「サッシカイア」 ( 『石の多い土地』 という意味 ) を市場で販売するようになります。もちろん、国際品種を用いているため、格付けとしては、DOC を取得できずに、一番下の格付けであるヴィノ・ダ・ターボラ (VdT, テーブル・ワイン) として市場で販売されますが、ワインの素晴らしい出来栄えと美味しさから、早速、高い評価を得て、市場で評判になります。
ワインの評価が市場で急速に高まるのを見て、1970 年に息子のニコロ・インチーザ・デッラ・ロッケッタ氏は、プロの力を借りるよう父を説得、従兄弟であり、アンティノーリのワイン・メーカーであったジャコモ・タキス博士を招聘します。
ジャコモ・タキス博士は、例えば、「85 % のカベルネ・ソーヴィニヨンと 15 % のカベルネ・フランをブレンドする」「最大収量は、(当時のイタリアとしては常識外れの低さである) 30 hl/ha に抑える」「熟成はフランス産のバリック、しかも、1/3 は、新樽で 24 ヶ月かける」などという、現在にも受け継がれている厳格なワイン造りの基準を導入、ワインの品質を大きく改善させていきます。
1978 年のブラインド・テイスティング大会、人気沸騰・称賛
そして、1978 年にロンドンで開催されたブラインド・テイスティング大会で、「サッシカイア」は、11 ヶ国、33 種類の有名ワインを抑え 1 位に輝き、世界に「サッシカイア」の名前が知れ渡り、一気に人気が沸騰して、ブームになっていきます。
また、1985 年ヴィンテージについて、R. パーカー氏は、イタリア・ワインで初めて、100 点を付け、「私は、このワインをしばしば飲むが、100 点満点を付けなかったことはない。テイスティングの際、この世のものとは思えなかった。~記念碑的なカベルネ・ソーヴィニヨンであり、20 世紀につくられた最も偉大なワインのひとつである。テイスティングをするたびにこのワインの現実離れしたレベルの品質を確かめ続けている。」と絶賛しています。
更に、イタリア人のワイン評論家、ニコラス・ベルフレージ氏は、20 年を経て 1985 年ヴィンテージの「サッシカイア」を試飲、「1985 年ヴィンテージだというのに、色・味共に驚くほど若々しい。~まるで昨日つくられたのかのよう。こう言うのは辛いが、20 年前のサンジョベーゼでは絶対に出せない、信じられないフレッシュさ。100 点満点に値する。」と、20 年の熟成を経た「サッシカイア」の若々しさに驚きながら、称賛しています。
「DOC ボルゲリ・サッシカイア」の成立と「スーパー・トスカーナ」の広がり
イタリア・ワイン法を超越した「サッシカイア」の偉業を見て、イタリア・ワイン法は改正され、「DOC ボルゲリ・サッシカイア」という「サッシカイア」単独の原産地呼称が成立します。
また、他のトスカーナ、特にボルゲリのワイン生産者たちを中心に、1970 年代以降、イタリア・ワイン法に囚われない優れたワイン造りに挑戦する取り組みが活発になり、国際的に極めて高い評価を得る生産者が幾つも現れます。
たとえば、「オルネライア」「ティニャネロ」「ソライア」といった、傑出したワインが生み出され、「サッシカイア」同様に、世界中で極めて高い人気となります。そして、トスカーナを中心に、イタリア・ワイン法に囚われずに生み出された傑出したワインは「スーパー・トスカーナ」と呼ばれるようになり、ワイン・ファンにとって憧れの対象となっていきました。